郡和子のコラム

2006年08月15日(火)

小泉総理の終戦記念日の靖国参拝

やはり、だった。
61回目の終戦記念日に、小泉総理は靖国へ行った。

朝の靖国神社からの中継と、その後の小泉総理の会見を見て感じたことを書かずにいられない。

任期終盤、(彼にとってはようやく)公約どおり参拝を行ったわけだが…。

靖国神社には、軍隊・軍属の戦没者しか祀られていない。
しかも、あの戦争は、侵略戦争ではなく自衛のための戦争だったというのが靖国神社の歴史観だ。
だからA級戦犯も英霊として祀られている。
反対する国々や人々のその数々の理由に対し、総理は会見で反論したわけだが、ちょうど一年前、戦後60年の節目に発表した談話は、「植民地支配と侵略によりアジアの人々に多大な損害と苦痛を与えたことに、痛切な反省とお詫びを表明する」であり、A級戦犯については「戦争犯罪人である」と明言したはずだ。総理の歴史観もそうであると考えるべきだし、その通りのはずだが。
なのに…、である。
外圧に屈するほうがおかしい、と、自らを正当化させ、矛盾があると指摘しても、小泉総理は、そんなことはないという。信教の自由だ、とも。
どうしたらそういう思考回路になるのか…。
平和のために参拝していると言うが、それでは、中国、他アジアの多くの国々で日本軍によって奪われた命に、あるいは、また、空襲等で亡くなった多くの一般国民に対しては、どう平和を誓うのか。
あまりにも歴史を無視した言動であると思う。

以前、ドイツがどのように周辺国と友好関係を築いたか、その取り組みに学ぶべきと思うと書いたが、改めて、強くそう思う。

61回目の終戦の日、戦火が亡くなることを、私は、すべての戦没者に誓いたい。


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