郡和子のコラム
2008年05月10日(土)
ミャンマーの悲劇を生かして
世界食糧計画(WFP)が、9日、ヤンゴン空港に輸送したサイクロン被災者向け緊急援助食糧38トンが軍事政権当局によって差し押さえられていることを明らかにしたというニュースが入ってきました。
到着した9万5000人分に相当するビスケットで、当局の規制によって積み下ろしできないということです。
世界中が被害者に対する物資の支援を行っても被災者に届かないとは…。
軍政が支援団体などの入国も拒んでいる状況にも批判が集まっています。
一刻も早く被災者の皆さんの救済につながるよう、力を合わせなければなりません。
今回のサイクロン被害は、日本では考えられない甚大なものになりました。
情報が国民に閉ざされていることも大きな要因と考えられます。
サイクロンの情報が現地でどのように知らされていたのか、いなかったのか、これも問われなければならないことだと思います。
被災者の皆さんが、水や食料、薬や住む場所がなくなって命をつなげない状況にあるのに、軍事政権が自らの保守のために支援を拒絶していることを、国際的な強い働きかけで変えていかなければならないでしょう。
国連の安保理もこのことを議題にすることを決めたといいます。
今回のことがミャンマーの人々にとって軍の圧政からの解放につながるように、日本ももっと声をあげるべきではないでしょうか。
福田総理の発言を聞いていると、この件でもあくまで他人事。残念です。
サイクロンの被害の悲劇を自然災害だけに終わらせないこと。
悪政が被害を拡大させていることを厳しく批判して、ミャンマーの人々に支援の手が届き、安心と安全を一日も早い安寧を作り出せるようにしなければならないのではないでしょうか。
2008年05月05日(月)
子どもたちの未来のために 投資を「コンクリート」から「人」へ
15歳未満の「子ども」の推計人口が発表になりました。
昨年より13万人少ない1725万人。
27年連続で減少を続け過去最低を更新したそうです。
総人口に占める子どもの割合も13.5%で、こちらも過去最低となったと伝えています。
生まれてくる赤ちゃんの数は減る一方です。
実は、昨日、生まれてまだ日の浅い従妹の赤ちゃんを見に行ってきたばかりです。
とても小さな愛くるしい赤ちゃんを、新米パパとママがあやしていました。
真っ赤な顔をして伸びをしたり泣いたり、口元をほころばせてうつらうつらしたり、時間を忘れ表情を眺めてしまいました。小さな赤ちゃんを見るのは本当に久しぶりのことです。
産みたいと思った人がその希望をかなえられる社会、日本はいつの間にか、それができにくくなっています。
政府がどれだけ「児童・家庭関係の社会支出」をしているかを比べれば、その国の子育て支援の姿勢が見えてきますが、日本はGDPに占める割合は僅か0.75%、諸外国は2%から3%台です。
2003年のフランスの家族関係支出は、7兆1300億円、これを日本の子どもの数に当てはめると10兆6000億円支出することになるのですが、残念ながら日本の支出は3兆6800億円でしかありません。
また、フランスの出生率回復の背景をみてみると、手厚い家族政策、多様な保育サービスや育児休業など、充実した両立支援に養育費の負担軽減につながる教育政策、そして、労働時間の短縮やワークライフバランスに配慮した労働政策など、総合的でダイナミックな政策パッケージを用意しているのです。
私たちは0歳から中学卒業までの一人一人の子どもに2万6000円の子ども手当を支給することをはじめ、多様なライフスタイルを選択できる社会をめざして「未来世代応援プラン」を打ち出し、私も提案者になって法案を繰り返し提出していますが、残念ながら結果に結び付いていません。
夫が育児に協力的だと第2子の誕生にも結び付くというデータもありますが、ワークライフバランスや男性の育児休業も、また、実効的な育児支援もなかなか広がらないのが現状です。
とりわけ働く女性にとって、出産や育児で仕事を中断することが、キャリアに結び付きにくく、賃金面でも男女格差が広がってしまうことで、二の足を踏む女性も少なくありません。一度退職すると、次の就職はパート、しかも、同一価値労働同一賃金がなかなか進まないことも理由の一つでしょう。
出産可能な医療機関の減少や保育環境、教育への負担など、複合的な問題が重なって、未来へ展望が開けない状況ですから、少子化に歯止めがかからないのは当然でしょう。
その少なくなった子どもたちが、外遊びをしなくなっているとのニュースにも、心が痛む思いでした。
全国国公立幼稚園長会が実施した調査で明らかになったもので、幼稚園児の14%が外遊びをしないという結果だったということです。
習い事をする子どもが増えていることや、親が安心して遊ばせられると感じる場所が減っていることなどが背景にあるのでしょう。
調査した国公立幼稚園長会では「結果として子どもの体力低下につながっているのではないか」と話していいます。
国の公共投資の在り方を、これまでどおり「道路」に代表される「コンクリート」にするか、あるいは「人」にするのか…。
財政支出を大きく変えていく局面にきているのだと感じずにはいられない、子どもの日です。
2008年05月02日(金)
原爆症認定集団訴訟 仙台高裁判決
5月28日午後、ちょうど厚生労働委員会で審議を行っているときに、仙台事務所からメールが入りました。仙台高裁で行われた原爆症認定却下を取り消すよう求める仙台集団訴訟で、原告勝訴の判決が出されたことを伝えるものでした。
仙台高裁の判決は、全国15の地裁と6つの高裁で争われている訴訟の最初の控訴審判決で、政府は新基準「新しい審査の方針」を決め、今年4月から分科会での認定作業を進めていますが、仙台の原告お二人はこの分科会にもかけられていません。
判決の中で、井上稔裁判長は、「原因確率が低い数値であることのみをもって、放射線起因性を端的に否定すべきでなく、既往症、生活環境も勘案して判断すべきである」と、国の審査の方針を批判、放射性起因性を明確に認めてくださいました。
さらに、今回の裁判の最大の争点だった要医療性についても認め、「起因性と要医療性が明らかなのに争い続けた国の姿勢は、被爆者援護法の救済の精神に照らせば柔軟な対応にかけた」と、異例の言及をしたということです。
原告のお一人、波多野明美さんは、広島で被爆し82年に胃がんを患い胃切除後障害で現在も大変な思いをされているのを承知しているだけに、あの細い体で長い裁判をよく頑張ってこられたと、涙が出る思いでした。
一日たって今日、会館事務所に、仙台の裁判を支えた杉山弁護士、そして被団協の代表らがお見えになり、舛添大臣に対する申し入れ書を届けてくださいました。
「審査の方針」の再改定、そして、被爆者切り捨ての認定行政への反省と被爆者への謝罪などが書かれています。
新しい審査の方針では、被爆者の方々への不合理な線引きが行われ、また、認定を受ける疾病も限られていて、裁判で勝訴したとしても被爆者と認められないケースも出てくることを、被団協、弁護団も心配されていました。
2002年の集団提訴以来、すでに48人の原告の方がなくなりました。
命を懸けた戦いを終結させられるよう、私も力を注ぎたいと思います。
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