郡和子のコラム

2011年10月15日(土)

復興を前へ

東日本復興対策本部の宮城現地本部長に就任して1カ月が過ぎました。
改めて宮城県の沿岸部などを回りご要望をお聞きした一月でした。

あの大震災から7カ月が過ぎ、未だご不自由をおかけしている状況を申し訳なく思いますが、着実に少しずつではありますが復興へ向け歩みが始まりました。
3次補正予算や復興特区、復興交付金を早期に国会で成立させ、希望につなげたいと思っています。

ところで、先日、「くしの歯作戦」(国道4号から沿岸の主要都市につながる15本の横軸の道を通行可能にしたミッションです)を敢行し、人命救助や物資輸送に貢献された国交省東北整備局の徳山局長から、一冊の本をいただきました。

「前へ!―東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録―」麻生幾さんが記した、あの日から数日間、未曽有の危機に命をかけて立ち向かった人々のドラマです。
すでに読まれた方も多いかもしれません。

3.11、その日の夜に、闇の中を走り回り、全国から駆けつけるであろう救命部隊の道を切り開いた国土交通省のチーム、また、ガレキの中の命を探し続けた自衛隊員のひとりひとり、爆発した原発の傍らで住民の避難誘導を続けた警察官、曇ったゴーグルとマスクを投げ捨て原発への放水に挑んだ自衛隊の隊員。
いずれも、あの、信じがたい災害の中で、自分の命をかけプロとしての役割を果たしてくださった皆さん(中には実名で)の様子が克明に描かれています。

怖ろしい津波そして経験のない原発災害を目の当たりにし、日本のだれしもが心に大きな傷を負ったのだと思いますが、改めて、「人の力」でこそ「人は救われる」と、そしてヒトは悲しみや恐怖を乗り越え災害に立ち向かうことのできる「勇気」の生き物であると、痛感いたしました。
改めて、任務にあたられた皆様方に感謝いたします。

あれから…。
宮城では未だ332人の方が避難生活をされています。(10月14日現在)
一日も早く当たり前の生活に戻れますよう、私も政府の一員として、努力を続けてまいります。

被災自治体の復興計画策定のための取り組みも本格化してきました。
復興を「前へ」進めるために、関連自治体と政府との連携も不可欠です。
なお一層スピードを上げ県内を回ってお話をお聞きし、ふるさと再生・創生のため取り組んで参りますので、よろしくお願いをいたします。


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