郡和子のコラム

2011年12月01日(木)

閑話… 

警察官の息子を持つ友人がいます。
その友人から、先日、息子さんのことを聞かせていただきました。
3,11あの日、すぐに救助活動に参加、ご遺体の捜索活動も長く続いたということです。
勤務地は特に犠牲になった方が多い宮城県沿岸部でした。
友人は精神面での疲労も心配で「大丈夫?」と聞くと、彼は「飯が食いたいと思えるようになったから大丈夫だよ」とあっさり答えたといいます。
今、その彼は波に流されてしまったかつての交番に代わる「仮設交番」で元気に勤務しています。結婚も間近かも、と友人は話していました。

ところで、あの東日本大震災を克明に描く本が随分沢山出版され書店に並んでいます。私も移動中にそのうちの何冊かを買い込んでは読ませていただいています。

直近で読んだのは、震災直後から被災地の取材を行い遺体安置所から見た人間像をテーマにしたノンフィクション作家石井光太氏の「遺体~震災、津波の果てに」(新潮社)で、上記の友人の息子さんの厳しい経験談を十分過ぎるほど鮮明にするものでした。
次々直面する顔見知りのご遺体に立ちすくみながら、立ち止まることも許されなかった遺体安置所の状況のルポルタージュで、この悲劇の教訓をしっかり受け止め、支えた人々に学ばなければならないと強く思いました。
著者の石井さんは、11月にこの本を出版してから精力的に講演活動を行っているそうで、私もお話をお聞きしたいものだと思っています。

また、地元河北新報社の「河北新報のいちばん長い日」(文芸春秋社)。サーバーが倒壊、さらに販売網がズタズタになる中、肉親を喪いながら取材を続ける記者、避難所に新聞を届けた販売店員、「被災者に寄り添う」をモットーに読者のための紙面づくりに一丸となって取り組んだ様子が分ります。最後にありのまま綴られている現場の記者さんたちの葛藤、私も考えさせられました。

あの大震災で被災した人は、きっと誰もが壮絶な時間を過ごし、今もその壮絶な時間の延長上に迷いながらも生きているのだろうなと、皆さんに話を聞くにつけ、震災関連の本を読むにつけ、思ったりします。また同時に、それぞれの人に、繊細でいて逞しくもある「生きる力」を感じたりもしています。

大丈夫、乗り越えられる。
復興へ向けた準備も整いつつあります。
3次補正と復興財源法は成立しました。終盤国会、残りの復興法案の成立に全力で取り組みます。


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