郡和子のコラム
2012年03月10日(土)
明日へ ~大震災から1年~
東日本大震災から一年になりました。
改めて犠牲になられた多くの皆様方のご冥福をお祈りするとともに、被災したすべての方々へ心からお見舞いを申し上げます。
2011年3月11日、午後2時46分。
我が国の観測史上最大のM9.0という大地震は、その後大津波も伴って東日本の広い範囲で甚大な被害をもたらしました。
犠牲になられた方は1万6000人に迫り、未だ行方不明の方が3000人を超えています。
避難所などは解消されましたが、今も住み慣れた土地を離れ仮設住宅などで34万3000人あまりの方がご不自由な生活をされています。
我慢と努力がいつまで続くのかと思っておられることと思います。
この一年、被災各地域を回り本当に大勢の皆様方からお話をお聞かせいただいて、私なりに応急対応、復旧、復興対応に走り続けてまいりました。
昨年秋には復興担当政務官として政府の一員に加わり、改めて自治体の方々とも懇談を重ね復興へ向けた制度設計に努めてきたつもりです。
土地の確保の難しさから県内でも仮設住宅の建設が遅れていた女川町で海外からのコンテナを利用した仮設住宅が完成し入居された方々にお話をお聞きした際のこと。
それまでの数家族でテントでの避難生活だったそうですが「でも、テント、楽しかったのよ」と話されました。どんなに悔しくどんなにお辛かったか、しかしそれを乗り越え話されたことに胸が熱くなりました。本当の意味で「楽しい」「安心」と感じていただける生活を取り戻していただけるよう取り組むことを心に刻みました。
この間、政府として4次にわたる復興の補正予算を組み、被災したライフライン、岸壁の復旧工事、被災した企業の復興のための応援、被災した皆様方の生活支援に取り組んで参りました。
命の道となった三陸道の早期全線開通を目指し工事が始まったこと、甚大な被害のあった海岸堤防の復旧工事、災害公営住宅の工事着手、つち音が響きはじめています。
また、2月10日に発足した復興庁・復興局・支所・事務所で、被災自治体を回り、地域の復興をワンストップでお支えしているところです。
復興特別区域法に基づき、税制や規制の特例を認める復興特区の認定を、すでに宮城県や仙台市などに行い、現在も、塩釜市、石巻市などから出された特区の認定作業を進めているところです。
また、復興交付金事業の申請について、一次の交付可能額を各自治体にお伝え致しました。
この交付金については様々なご意見も頂きましたが、ご評価いただいている自治体も少なくありません。
また、今後も執行状況を自治体の方々と確認しながら順次交付をさせていただきます。
先日、塩釜市長さんが議長さんらとともに復興庁においでになり、復興交付金についての感謝を述べられた後お励ましを頂き、特産の浦戸の「海苔」をお土産に頂戴しました。
再開が危ぶまれていた漁業者の方々が補助金等も使ってご努力をいただき、例年にも増して素晴らしい出来となった海苔を味わってくれと、お持ちくださったのでした。
浦戸4島のキャラクター、ワカメ、カキ、ノリと、菜の花に寄るミツバチが可愛らしく描かれた箱に入ったもので、離島を元気づけたい、復興の力にしたいとの思いが伝わってまいりました。
被災地各地で、皆様方が力強く立ちあがっています。
東松島市で行われた大曲海岸堤防の着工式で、ご家族や家を失った大曲地区の皆さんが、地域に伝わる獅子舞を、獅子頭も太鼓も法被もすべて流されたのですが、復活させ、披露してくださいました。
生き残った者の使命だからと話してくださったメンバーの青年の顔が鮮やかに残ります。
一方で、被災された方々の孤立防止や心のケア、住宅の再建や高台移転などの街づくり、ものつくりや農林水産業の集積6次化での雇用の確保・創出、壊れてしまった地域医療体制の再構築、風評被害への対応、観光振興、そしてがれきの広域処理…、と、課題はまだまだ残ります。
復興が進まないと言われる要因を私なりに分析すれば、政局へ傾いた政治の責任、平成の大合併で広いエリアを少数の職員でカバーしていたところに起きた大災害、犠牲となった職員も大勢いてマンパワーが圧倒的に足りなくなったこと、いわば「小さな政府」の矛盾も露呈したと思います。
これまで経験のない原発事故も加わるトリプルパンチの災害、被災地域のあまりの広さなど、いくつかの原因が重なりあった世界でも初めての災害でした。
走り続けても走り続けても、次なる課題が次々迫ってきます。
被災された皆さん、そして支援されている皆さん、役所の職員も、いつまで続くのか、休まる暇もなく不安をぬぐえなかったのも事実でしょう。
政治と行政のスピードを上げる、しかし、復興は一気に進むものでもありません。
たとえ、時間がかかろうとも、過疎化や高齢化が進もうとも、必ず東日本は、宮城は、よみがえると、私は確信しています。
絶望から希望へ。
明日への希望を繋ぐため、これまでの1年以上に、私も復興大臣政務官として全力で復興に取り組んで参ります。
息の長い多くの皆様方のご支援も欠かすことはできません。今後とも何卒、被災地へのご支援ご協力をよろしくお願いいたします。
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