郡和子のコラム

2015年06月13日(土)

集団的自衛権行使を砂川最高裁判決が認めているなら、これまでの政府答弁は何だったのか。

集団的自衛権容認の論拠として砂川事件の最高裁判決が持ち出されています。

今日は、そのことについて触れたいと思います。

 

まず、その前に。

6月4日の衆議院憲法審査会で参考人となった憲法学者が、与党推薦の参考人も含めそろって審議中の安保法案を「憲法違反」と断じました。

小林節慶大名誉教授は、安保関連法案の本質を「国際法上の戦争に参加することになる以上戦争法だ」と断じ、平和安全法制と名付けた安倍総理や政府の姿勢を「平和だ、安全だ、レッテル貼りだ、失礼だ、と言う、その方が失礼だ」と痛烈に批判した上で、「銀行強盗を僕が車で送迎すれば、一緒に強盗したことになる」後方支援の拡大についてとても分かり易いたとえで述べられました。

著名な憲法学者が3人とも「違憲」と断じたことに危機感を持った政府与党は、火消しに懸命です。

菅官房長官は、すぐに、合憲という憲法学者もいっぱいいると反論しましたが、違憲とする学者が優に200人を超えているのに対し、委員会で合憲派3人の名前しか上げられなかった上、今度は「数ではない」と強弁する始末でした。

 

慌てた政府・与党は、見解の論拠や所属議員に向け配った文書で、改めて合憲の理由として、「砂川判決」を取りあげました。

 

砂川事件はアメリカ軍・旧立川基地の拡張計画をめぐり、基地内に学生らが立ち入り起訴されたものです。裁判では米軍駐留が憲法9条に違反するかが争点となり、最高裁は1959年、憲法違反とした1審判決を破棄し、その後、有罪が確定しました。

政府は最高裁が判決の中で「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得る」とした部分を引用し、集団的自衛権行使容認の根拠の1つとしています。

判決文で政府与党が集団的自衛権の行使は容認されているという根拠にしたところを以下に少し詳しく記します。

「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとりうることは、国家固有の機能の行使として当然のことといわなければならない」

そして、ここで自衛の措置に「個別的自衛権」と「集団的自衛権」とも区別されてはいないので、集団的自衛権を行使することはなんら憲法に反していない、と、言うわけです。

 

しかし、この裁判は、自衛権の種類について話題にすらならなかったと言われています。

なぜなら、この判決は、米軍基地の拡張に反対する人たちが基地内に立ち入ったことが犯罪になるかどうかが争われた刑事事件について出されたもので、争点は米軍の駐留の合憲性だったからです。

 

政府与党がこの裁判を論拠としているなら、つまり、最高裁判所が砂川判決で集団的自衛権行使を合憲であるとしているなら、なぜこれまで、集団的自衛権を行使できないと言い続けてきたのでしょう。

周辺事態法の議論のおり、あるいはイラク特措法の議論のおり、憲法は集団的自衛権の行使を部分的であろうが全体であろうが一切認められないので武力行使と一体化しないところに自衛隊を出すのだとしていたのは、なんだったのでしょうか?

砂川判決で認めてられていると、これまで誰一人として言ってこなかったのに、なぜ突然このような話になるのか、全くおかしなことです。

 

砂川事件の当時の弁護団は、政府与党の見解に対し会見を開き「判決が集団的自衛権の行使などに触れているところは全くない」と反論しました。

「集団的自衛権の行使について、裁判所が判断を直接、間接に言及したという余地は100%ありません」これは、砂川事件の弁護団の荒井章弁護士が会見で述べた言葉です。

 

一部をつまみ食いして都合よく解釈の説明をし、集団的自衛権行使が可能であると導くのは、判例の捉え方に関する法解釈学の基本にも反するものと考えます。

今回の安保法案は、こじつけられるものを探しに探して何とかつくろったものの、無理が過ぎ、破たんしています。

よもや強行採決などないとは思いますが、国民の皆さんの力を結集していただき、成立を阻止したいと思います。


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