郡和子のコラム

2016年02月21日(日)

放送法における政治的中立とは

放送法4条をめぐって、政府から発言がありました。

放送法第4条とは 。

第4条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。

一 公安及び善良な風俗を害しないこと。二 政治的に公平であること。三 報道は事実をまげないですること。四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

この、解釈をめぐる答弁が問題となりました。

 

政治的公平性が損なわれれば放送局の電波停止があるとの高市早苗総務大臣の答弁です。

そして総務省が、上記の放送法4条が定める「政治的公平」の解釈や判断基準について政府統一見解を出したのです。

 

その統一見解とは、予算委員会の中での大臣の一つの番組だけでも同条に抵触する場合があるという答弁を踏襲し、「一つ一つの番組を見て、全体を判断する」というものでした。

(この見解は、私たち民主党が衆議院予算委員会で要求し、12日の予算委員会理事懇談会で公表されました。)

 

政治的公平の判断について「放送事業者の『番組全体を見て判断する』としてきた解釈は何ら変更はない」とはありましたが、「番組全体」は「一つ一つの番組の集合体」であるとも指摘していて、「編集が不偏不党の立場から明らかに逸脱している」など極端な場合は、「政治的に公平であると認められない」としてます。

 

そもそも、放送法の第一章総則 (目的)には、
第一条  この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
一  放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二  放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
三  放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。

安倍政権下でメディアへの圧力をかける時の常套句が「不偏不党」という言葉ですが、放送法が「不偏不党」によって確保しようとしているのは、放送による表現の自由、であって、政府に都合の悪い内容をやめさせることではありません。

「電波」を止める権限は政府にはありませんし、時の政権の横暴に抗するためにも、放送法は存在し、その上に憲法が存在しているのです。

 

憲法21条の表現の自由に関する安倍総理の認識を確認するために「表現の自由の優越的地位」について議論がありました。

「経済的自由」と「表現の自由」はどちらが優越性があるかと言う議論です。

 

残念がら、安倍総理は、これに答弁することが出来ませんでした。

経済的自由は重要な権利ですが、国がおかしいことをすれば選挙を通じて直すことができるわけですが、表現の自由、知る権利を阻害されたら、選挙で直すこともできなくなります。だからこそ、憲法21条、表現の自由が優越的な地位にあるのです。

 

憲法は国内のあらゆる法律の上にある最高法典だという基本の基本。

このことを踏まえない総理のもとでの憲法改正は、とんでもない事だと、私はそう思います。

 

民主党政権時にも副大臣が同様のことを答弁しており踏襲したものだと言いますが、政府の統一解釈には「番組単位で精査する」ということが示されて、その時の答弁とは全く違う明らかな解釈変更が行われたということです。

 

そのことも、是非知っていただき、何としても次の選挙では、安倍政権の暴走を止める私たちに力を与えてくださることをお願いいたします。


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