郡和子のコラム

2016年05月30日(月)

女性の政治参画クオータ法案を提出 歴史も振り返りながら

会期末が迫りましたが、今日、女性の政治参画を進める二つの法案を衆議院に提出しました。

世界で女性政治家や議員が増えたのは、クオータ制(憲法によるもの、選挙法等によるもの、政党が自主的に設定するものなど)を設けたことが大きな要因です。

それがない日本は、列国議会同盟が毎年発表する女性議員比率ランキングで、2016年、国会議員(下院、日本では衆議院)の女性割合は191カ国のうち、なんと156位という状況です。

女性参政権は戦後導入されたものですが、実は、1880年(明治13年)、高知の女性の声を受け、女性戸主に限定されていましたが、政府から区町村会法が発布され、日本で初めて選挙が行われた区町村会がありました。

私の選挙区の中にある太白区長町、当時の「長町村」です。実際に投票した記録が残っています。

当時、世界で女性参政権が認められていた地域は、アメリカのワイオミング準州や英領サウスオーストラリアやピトケアン諸島といったごく一部で、この動きは女性参政権を実現したものとしては世界で数例目として注目されました。

しかし、4年後の1884年(明治17年)、日本政府は、規則の制定権を区町村会から取り上げ、町村会議員選挙から女性を排除してしまいました。

明治22年には憲法が公布され、23年には衆議院議員の選挙法が公布されて、最初の選挙が行われますが、女性は排除。

男性の普通選挙は、大正14年の3月に法律が成立し、最初の選挙は昭和3年に行われます。もちろん女性は排除。

公民権を女性にも、と、市川房江さんらが活動し、昭和5年に政友会・民政党の有志議員から、婦人公民権案が国会に提出されますが、衆議院は通ったものの、会期が短く審議未了。
昭和6年には民政党内閣の政府案として、女性に公民権を与え、かつ治安警察法第5条第1項を改定して結社権を与える、という案が国会に提出されます。

衆議院を満場一致で通過しますが、貴族院で、「家族制度を破壊する」「日本の国体に反する」という反対演説があり、否決されてしまいました。

そして、戦後1946年(昭和21)、女性が参画して行われた衆議院選挙の結果、日本初の女性議員39人が誕生し、70年がたちました。

長い間、女性の声に応えなかった国会、そして正式に参政権が付与されても、なお、冒頭で述べた通り、世界で女性の政治参画がどんどん進む中、超低空飛行している日本です。

私は、自分自身を国政に送っていただく前から、男女ともが働き豊かな社会を築いていくには、社会のシステムに関わる立法や予算措置に、もっと女性が関わることが望ましいと考えていましたし、今も、女性の政治参加が、日本の国作りの大きなカギを握ると考えています。

これまで2年余り、女性議員を増やそうと超党派の議連で議論し各党での議論も進め、昨年の臨時国会で法案の提出を目指したものの、臨時国会は開かれず、この通常国会も会期末が近づき、残念ながら与党自民党・公明党は時間稼ぎに終始。「女性活躍」を謳いながら後ろ向きな姿勢は、有言不実行の誹りを免れません。

そこで、野党共同提案の理念法と、民進党単独での公選法改正案を提出したものです。

民進党がリードし、次の国会では是非成立させられるよう努力します。

もっと多くの女性を国会へ!


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