郡和子の日記

2005年12月31日(土)

2005年12月31日の日記

朝起きると雪が積もっている。25センチほどもあるだろうか。
夫と父とが朝ごはん前に雪かき作業。
いつもより遅い朝ごはんとなる。

今年7月、一人暮らしの父と同居しようと実家に身を寄せて半年、大きな変化が私たち家族にあった。

立候補の要請を受け大きくハンドルを切ったのは、紛れもなく、この社会をよりよいものにするために私のようなものでも出来ることがある、そう信じたからに他ならない。

しょうがいをもつ人たちの自立支援は、残念ながら政府案どおり可決成立してしまったが、福祉政策の中で国会休会中にひとつうれしい成果があった。

これまで、知的しょうがいや精神しょうがいをもつ人は、単身で公営住宅への入居が出来なかった。
しかしそれが可能になるということで、「障害者欠格条項をなくす会」の臼井さんはじめ、各種障害者団体のみなさんと、管轄する国交省の担当部局と話し合いを持って、当事者の意見を国の書類作りに反映させたことである。

法制度においては、法令の条文もそうだが、細かな通達や、申込書にいたるまで、細部にわたって重要な意味を持つものが多い。殆どは、役人が知らぬ間にそれらをつくり、まったく当事者の思いを組んでいない結果となり、にっちもさっちもいかなくなることが多い。しかし、今回は、やれた!

年明け、このことが各自治体に通知されて受け入れ態勢が作られると思うが、今度は、いかにこれを正しく広く実行させるかである。

今年は、安心や安全が脅かされる大きな問題が噴出。
少子化はさらに進むばかりで人口も減少。階級社会が作られ閉塞間も大きい。
身近な商店もまた次々店を閉める。
去年とは違った思考回路で大晦日を迎えている。
今日は自宅に引きこもりで、掃除をし、正月料理を作る。

皆さんのご支援に深く感謝!そして、来年もよろしくお願いします!



2005年12月26日(月)

2005年12月26日の日記

早朝、仙台を出て、東京入国管理局に向かう。

東京駅で乗換え品川まで。
東京不案内な私を心配する秘書の海老原さんは、「大丈夫ですか?東京駅に行きましょうか?」と言ってくれたのだけれど、大丈夫大丈夫と見栄を張り、山手線にしようか東海道線にしようか京浜東北線にしようか、実は自信なくホームをうろうろ。

と、目の前にいい男が現われ、つられて電車に乗り込む。
しばしそのいい男にみとれているとー、えぇぇー、上野方面じゃないですか!
これだから田舎者は困る、いえ、いい男は困る、のだ。

ったく。慌てて電車を下り、反対方向へ。待ち合わせに遅れるかもしれない旨を連絡。

今日は、以前、今野東さんの難民支援寄席を楽しんだ時の日記にも書いた、クルド人のドーガンさんの滞在許可が延長されるか、或いは収容されるか、強制送還されるか、という重要な出頭日なのだ。

難民認定も受けられずにいる。後方から滞在許可が延長されるのを支援するために入国管理局に同行するのに遅れては申し訳ない。
ぎりぎり間に合い書類の手続き。
申請の窓口には様々な国の様々な人々。
ドーガンさんと収容所で一緒だったという人も。

コンゴの少数民族ヘマ族のグロージャールさんは妻や子供を虐殺され日本に渡ったという。
彼もまた難民としての認定を得られていない。
取りあえず、延長許可がおり、お正月は家族で過ごせることに。良かった良かった。

で、仙台に取って返す。
今度は、途中、山手線から快速の京浜東北に乗換え東京駅に。
駆け足で東北新幹線ホームへ。
実に美しい身のこなしで発車一分前に席に着いたのだった。
ふぅーっ。

午後、仙台ではどんな予定か、メールで確認が入った。
はい。分かりましたよ。

東京はいい天気だったけど、那須塩原すぎたあたりから吹雪。
そういえば朝家を出る時も雪だったな、と、今朝の様子を思い出す。

ついでに、今朝、東京駅で間違った電車に一緒に乗り込んじゃう原因になったいい男の顔も思い出す。
おっと、乗り越さないようにしなくちゃ!




2005年12月25日(日)

2005年12月25日の日記

地元町内会の皆さんに年末の挨拶回り。
今日も励ましと同時に、憲法問題の対応について要望が多かった。しっかりしろと背中を押される。
美容院で髪をカット。すっきり。


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