郡和子の日記

2005年12月24日(土)

2005年12月24日の日記

午前、挨拶回り。
伺ったお宅で、憲法問題で様々意見を頂いた。満州から家族をなくし命からがら引揚げた方、多くの方から今の日本の行き方に心配する意見を聞く。

午後、仙台市中心の繁華街で街頭活動。クリスマスで賑やかな通りの中、随分多くの方に励まして頂いた。
今年いっぱいで店を閉める老舗のお母さんを訪ねた。お互い目に涙が浮かんで、思い出話。握手、というか手を握り、ようやくお疲れ様と言う。
街がまた知らない顔に変わって行く。
切ない年の瀬。



2005年12月23日(金)

2005年12月23日の日記

白石和紙をご存じだろうか。
日米講和条約の調印書に使用された平和の白い紙が、白石で漉かれた和紙なのだ。
今も、昔ながらの製法で作られている。
その白石和紙の製造者、遠藤ましこさんのところを久々訪ねた。
ちょうど一年分の和紙の原料、楮の釜蒸し作業が最盛期、釜揚げに立ち会った。実にいい匂い。作業場の外には、楮の皮が干されていた。東大寺の修行僧の紙衣も、遠藤さんちの和紙で作られる。お水取りの時に身に着ける衣だ。一年かかってようやく紙になる。かつては白石に大勢職人がいたというが、伝統を受け継ぐのは、遠藤さんちだけ。80歳を越えても元気なましこさんに励まされる。

その足で、福島県境の越河の永山さん宅へ。中国人のスーパーレディと国際結婚。そのスーパーレディ、張司紅さんは、北京アップリカ社(日系企業)の社長で、農家の長男の妻であり二児の母なのだ。北京と越河、仙台、そして日本のアップリカ社のある大阪を飛んで歩いている。昨日北京から帰ってきたばかり。日中関係について侃々諤々、いや喧々囂々、ま、大きな声で意見を交わす。
日中の教育環境についても話しを聞く。張さんにもエネルギーを注いでもらった。次に私が北京へ行く時は、彼女の会社も訪ねると約束。来年また行こうと思う。


  • 張さんと

  • まし子さんと

  • こうぞの釜揚げ

2005年12月22日(木)

2005年12月22日の日記

雇用機会均等法改正に向けたヒアリング、交通バリアフリー法改正に向けたヒアリング、打ち合わせ、年内はいずれも最後となる。通常国会招集前まで、しばらく会議はない予定だ。

夕方仙台に向かう。
そうそう、芸術祭賞の大賞に東北放送のラジオ番組が選ばれた。制作したのは後輩の中野文恵さん。我がことのように嬉しい。アナウンサー出身で初めて制作した番組でこの金星、お祝いの電話を入れ、久々弾む声を聞き、私も気分が高揚した。
頑張ればいいことがついてくる!だ。


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