郡和子の日記

2007年03月23日(金)

2007年3月23日の日記

朝8時、外国人労働者問題の作業チーム会合。
千葉大学の手塚和彰教授から話を聞きました。
9時、厚生労働委員会。
薬害肝炎の問題、そして、国民年金法の改正について審議しました。
お昼、あまり時間がありませんでしたが、原爆症認定をめぐっての裁判報告と制度改正を願う院内集会に参加して、ご挨拶をさせていただきました。
仙台裁判の原告波多野さんらがいらしていて、勝訴を喜びあいました。
12時40分、代議士会。
13時、本会議。
米軍の駐留軍再編に関する特措法の審議も始まりました。
社民党の照屋寛徳議員が脳梗塞から復帰し2年ぶりの本会議壇上に立ち質問を行いました。
「早くしゃべれませんが・・・」と、でも、実に説得力のあるお話で、感激しました。
グアムへの米軍移転問題ですが、3兆円ともいわれるお金を米軍に出す、この額について政府は口をつぐんでいるのですが…、これからしっかりとした議論をしなければなりません。
本会議後、来週の打ち合わせをして、仙台へ戻りました。

仙台で、中国残留孤児を支援する宮城の会結成会議出席。
60人ほどが集まりました。
国家賠償裁判を支え、問題の全面解決に繋がる支援をすること、生活上の問題を支援することなど、会の活動趣旨を決めました。
徳島の判決、残留孤児に賠償を認めないとする判決が今日出たばかりで、しかし、「国は孤児が自立した生活を送れるよう配慮すべき政治的責任を負っている」と指摘しています。ならば、賠償に応じるべきだとの判決でなくちゃおかしいのですが、高齢化が進んでいて、生活苦が続いていて…、仙台の原告団長角張さんの「夢にまで見た祖国を私は訴えたくなかった」「日本政府は私たちを捨てた、しかし、日本人は私たちを捨ててはいなかった」と発言しました。涙がこぼれそうでした。

帰りのタクシーで、運転士さんが携帯がなり慌てて消したのですが、とても素敵な着メロで、「いいですね」と話しかけると、「子どもたちが勝手に入れるんですよ」との返事。
聞けば二十歳でお父さんになり、22歳から高校生まで4人のお子さん、下のお子さんは双子ちゃんだったそう。「大変でしたでしょう?」と聞くと、笑いながらいろいろエピソードを話してくださいました。
素敵なご家族だなぁ、と、タクシーの中であったかい気持ちにまで頂いてしまいました。
運転士さん、ありがとうございました。


  • 東北地方中国残留孤児を支援する宮城の会で原告角張さんが話をしました

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