郡和子の日記

2011年04月04日(月)

2011年4月4日の日記

宮城県の沿岸南部、山元町役場に伺い、今野県連代表、岡崎党副代表と町長さんらからお話を聞かせていただき、被災地の現場を見てまわりました。
山元町までは、仙台東部道路を南下しましたが、その間、津波被害を改めて確認するという状況でした。
東部有料道路は堤防上に一段高くなっています。
海側、東側は、一面ガレキとドロの山、車が斜めに突き刺さっていたり、舟も陸地に乗り上げたまま、まだ、片づけられずにいます。
堤防上になっている東部道路が結果として防波堤の役目を果たしたのでした。
東西の光景が余りにも対照的で心に強く残りました。
散在する廃棄物の処理、回収にも、今後も多くの人手が必要になります。
全国からの多くのボランティアの皆さんの力が必要で、受け入れによりよいシステム作りも急がねばならないと思います。

山元町は可住地域の6割以上が被害にあっています。
仮設住宅は、旧坂元中学校の校庭跡地に78戸、町民グランドに100戸が決まりましたが、資材不足も心配されていました。
それと、一刻も早く義援金が被災者に届けられ生活のために使えるよう、働きかけたいと思います。

ところで、役場に設けられた災害臨時FMラジオ「りんごラジオ」(特産品の名前からりんごラジオと名付けられたそう)のアナウンサーとして元東北放送の高橋厚さんが頑張っておられました。何年ぶりの再会だったでしょうか。

仙台に戻って県庁で企画部長さんらと復興ビジョンについて意見交換。
その後、県連で会議を行いました。

先週まで長い列ができていたガソリンスタンドは、今日、ほとんど並んでいる車を見ませんでした。
ようやく供給量が戻ってきたということでしょうか。


  • 山元町からの要望をいただく


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