郡和子の日記

2011年04月05日(火)

2011年4月5日の日記

石巻選出の加賀たけし県議、坂下賢県議とともに、県連の調査団として今野東代表と共に被災地を見て回りました。
石巻市役所でまず市長から説明を受けましたが、市役所も数日水が引かずカヌーで役所に出入りしたということです。
泊まり込みの職員の皆さんも疲れがピーク。しかし、帰る家を無くし、この間休みを取ることもできずにいらっしゃいました。
ヘドロの臭いも相当なものでした。

また、石巻市内各所を回りました。合併で今は一つの市ですが、接する桃生郡のうち桃生町、河南町、河北町、北上町、雄勝町、牡鹿郡牡鹿町と合併した経緯がありますが、河北町、北上町、雄勝町、牡鹿町、いずれもリアス式の美しい漁村は壊滅的な被害を受けていました。

旧河北町の大川小学校では児童74人、教職員10人の、合わせて84人が死亡、まだ、行方不明の方もいます。
故郷だったのでしょう、長い時間小学校や集落の様子をじっと眺める青年がいました。

ここまで波が来るのかと思うほど山の木々の高いところまで漁具などが引っかかったままで、避難所だった地域の施設も跡形もなく津波が破壊していってしまいました。
そして行方不明の方々の捜索も続いていました。
自衛隊の皆さんの過酷な仕事です。

避難所で皆さんとお話もさせて頂きました。
日中は片付けなどで出かける人たちも多く残っているのはお年寄りと子供たち。
力のこもった握手にそのお気持が伝わってきます。
仮設住宅を一日も早く、また、生活資金を一日も早く、被災した学校の一日も早い復旧を、など、ご要望はいろいろです。

東京では、私もメンバーになりましたが、「復興ビジョン検討チーム」の一回目の会合が開かれました。
代理対応でしたが、長い道のりを皆さんと共に乗り越えられるよう、私自身も、県連としてもがんばります。


  • 学校の3階まで津波が押し寄せいまもそのまま

  • 避難所の北上中学校

  • 大きな犠牲の出た大川小学校付近

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