郡和子の日記

2011年05月06日(金)

2011年5月6日の日記

厚生労働委員会の視察で、女川町を訪ねました。
委員会の牧委員長はじめ理事のメンバーを中心に東京から朝仙台に来ていただき、私も合流してバスに乗り込み女川町へ向かいました。

女川へは私も初めて入りました。
高台の女川病院を残し、町は面影を残していません。
安住町長、また、女川病院の佐藤院長からお話をお聞きしました。

女川病院は4月から公設民営となる予定で、公益社団法人地域医療振興協会による支援が震災直後からあって随分助けられたということでした。
16メートルを超える高台にあった病院でも2メートルの津波が押し寄せ1階部分が完全に使用できなくなり、レントゲン、CT、MRIなど多くの医療機器も水に浸かり再起不能になりました。院長、町長は、ここまで津波が来るとは考えられなかったといいます。再建には多大な資金が必要です。
入院者さんは4階の病棟に集められ3階の病棟は隣接する老人保健施設の入所者を移動し、老健として利用されていました。
今後の人口動態も見ながら将来計画を立てたい、安心できる街づくりのために安住町長も被災しながら思いを語ってくださいました。
すでにこの国の高齢社会を先に迎えていた地域でもあります。モデルができるはずです。復興へ向けた大きな視点ととらえるつもりです。

また仙台市荒浜地区で津波被害を受けた特養施設「潮音荘」のお年寄りを受け入れている仙台泉区の「愛泉荘」を訪ねおはなしを伺いました。
まだまだ法律で対応できていないところ、また、行政の連携、施設理事長から指摘を受けました。

与野党視察団の全員が心を一つにして取り組むことを確認した一日だったと思います。


  • 安住女川町長からお話をお聞きしました

  • 女川の町は津波の恐ろしさがそのままです。3階建てのビルの上に車がのったままでした

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