郡和子の日記

2013年05月20日(月)

2013年5月20日の日記

党の復興調査会のメンバー、また福島県の自治体議員の皆さんとともに、朝早く郡山市のホテルを出て、まず川内村へ。
11年の11月に除染を開始し、12年1月に帰村宣言をしてから今日までの様子を伺いました。
50歳以上の方々の6割近くが戻ってきています。しかし、50歳未満については26%。若年層の帰村を促すために頑張っておられます。
雇用の場として、旧富岡高校川内分校の廃校舎を工場として活用し菊池製作所さんが新規立地。村民の方々を雇用し事業が始まっています。
また、ヤマト財団の寄付金を活用して作られた川内高原農作物栽培工場「きみどり」も見学させていただきました。
その後は、除染で出た廃棄物の仮置き場を視察。防護シートをかぶせ管理されていますが、村内4か所の仮置き場も狭くなる状況に加え、仮置き場の設置は3年、一日も早い中間貯蔵施設の完成を要請されました。

その後富岡町へ。
今年3月25日に警戒区域を解除し避難指示区域の見直しを行っています。
町内のかつての商店街で、ネズミや野生化した家畜などが家に入って荒れ果てている様子も視察しました。
ショッキングな状況でした。賠償の在り方についても被災者の立場に立って見直していく必要があります。
また、楢葉町では除染の様子を見てお話を伺いました。

午後はいわき市に。
久之浜地区の仮設店舗でお話を伺い、仮設工場や土地区画整理事業の予定地を見て回り、平・中央台仮設住宅で住民のみなさんと懇談。さまざまなお話をお聞きしました。
津波被害と原発事故被害、それぞれの対応に違いがあって被害者の間でも複雑な感情も生まれています。
最後には、子どもの遊び場「いわきっず もりもり」に。雨が降っていたこともあり、大勢の子どもたちが元気に汗をかきながら遊んでいました。見守りをしているのは緊急雇用のみなさんたち。これまでも子供たちの支援を続けてきた方々だそうです。

福島の置かれた復興の課題、乗り越えなくてはなりません。
夜東京へ。


  • 楢葉町のこども園の除染状況を視察

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