郡和子の日記

2005年08月26日(金)

2005年8月26日の日記

浅野史郎宮城県知事にエールを送っていただきました。
浅野知事の福祉政策に大きな共感を持って私もこれまで活動してきましたが、個人的な繋がりというより、「政権交代」の道筋の責任を果たしてほしいとの、強い励ましだったと思います。「霞ヶ関の大掃除は政権交代でないと出来ない」税金の無駄使いのみならず霞ヶ関に巣くった不正に大胆にメスを入れられるのは、誰なのか、お考えいただきたいと思います。

 ところで、およそ400年前、1620年の今日は、支倉常長が7年ぶりに帰国した日だそうです。(正確には旧暦の今日。今の暦だと9月22日になるようです。)

 仙台の皆さんなら良くご存知のとおり、支倉常長は伊達政宗公の命を受け、宣教師の派遣やスペインとの通商交渉などをするためにヨーロッパに渡りました。ローマ教皇に謁見したり、キリスト教の洗礼を受けたり、貴族に列せられるなどの興味深い出来事がありましたが、残念ながら訪欧の目的は果たせませんでした。また、帰国したときにはすでにキリシタン禁教令が出ていて、失意のうちに亡くなったそうです。

 支倉常長をヨーロッパに送った伊達政宗には、将来の海外進出を準備する国情偵察や有力者との関係構築という目的があったとも言われています。今となっては、その本心、野心は慮るほかありません。けれども、あの当時、海の向こうを見て、世界規模の構想を描いた政治家がいたこと、最強の国家と言われたスペインと堂々と交渉する気概を持った政治家がいたことに深い感慨を覚えます。

 翻って今、小泉総理の外交は、アメリカばかり、一歩先ばかり見た「小さな」外交、近視眼的な外交になってしまっていると思います。イラク戦争への対応についても、大局的見地に立ってその意味を考えることをせず、闇雲にブッシュ政権の強硬政策を支持しました。今や、大量破壊兵器がついにみつからなかったことなど、すっかり忘れてしまったかのよう。自衛隊派遣についても、現地情勢などの事情で十分な活動ができず、また、スペイン、オランダ、タイなど、多くの国々が既に撤退をしているにも関わらず、アメリカへの義理立てと「判断停止」で、ずるずるとイラクに残したままです。

 遠くヨーロッパに目を凝らして大きな構想を描いた伊達政宗、別世界にあって強い意志で任務を遂行した支倉常長を思い、また、戦後日本が大切にしてきた平和憲法の理念を噛みしめながら、平和創造の努力をリードする日本づくりのたたかいに、私も参加していきます。

 加えて、浅野知事がこの宮城に誕生した理由を思い、だからこそ知事がこだわった公金の使い方使われ方の透明化を、今度は、私たち民主党が政権をとって霞ヶ関で実行するのだと、そう考えています。


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