郡和子の日記

2011年03月13日(日)

2011年3月13日の日記

地震のマグニチュードが9.0に変更されました。
被災した皆様にお見舞いを申し上げます。
そして、亡くなられた方々に心からお悔やみを申し上げます。

それにしても言葉を失ってしまう状況です。
助かった方々は体調もさることながらどれほどご心痛か。

地元からはいってくる支援の要請を随時あげさせていただきました。
が、まだまだ一部でしかありません。

電話の基地局が機能しなくなっており連絡がつきにくい状況も続いています。

2区の斉藤さん、3区の橋本さん、4区の石山さんの三人が、陸路で宮城に向かいました。到着するのは深夜以降になるものと思います。情報を待ちたいと思います。

夜、菅総理が国民の皆さんへ向けたメッセージを送りました。
未曾有の事態に、皆さんとともに乗り越えられるよう、いえ、きっと乗り越えられる力を日本人は持っていると信じ、頑張っていきたいと思います。


2011年03月12日(土)

2011年3月12日の日記

今朝、ようやく家族と連絡がつきました。
短い時間でしたが電話で話すことができホッとしました。
しかし、電話はなかなかつながりません。安否確認にも苦労されているかと思います。
171災害伝言ダイヤルやラジオ等安否確認の手段を活用してください。

昨夜のうちに県内の国会議員団に連絡を取って情報収集、安住国対委員長の部屋で対応を行うことになりました。
仙台事務所のみんなも県や市の対策本部の情報収集に当たってもらっています。

刻々と被害の状況が明らかになって、また、新しい被害も広がってきています。
人命救助を最重点にし72時間は与野党含め視察は出さない。
おにぎり99万食、水、生活物資等、自衛隊5万人態勢、等々。
また、都内の1回生の議員らが中心になって交代で24時間体制を敷き幹事長室に詰め、要請等の情報を集めています。

高速道路は救助や物資を届ける緊急車両のみの通行になりました。
宮城に入りたい気持ちを抑えつつ、東京に留まって政府与党へのつなぎ役として頑張ります。


2011年03月11日(金)

2011年3月11日の日記

マグニチュード8,8という巨大地震に見舞われました。
大津波も襲ってきています。

東日本、とりわけ宮城はどうなっているでしょう。
夜、新幹線で仙台に戻ることになっていたのですが、動けません。

東京でも大きな揺れがあり、その直後、仙台の事務所から会館事務所に電話がかかってきました。
命に別条はないが、事務所の中はめちゃくちゃだ、ガスの匂いがしている、とのことでした。
仙台事務所は、仙台市中心部、ビルの4回です。
その後、家族も含めてですが、連絡がつきません。

大津波の破壊力がテレビの映像で見ることができました。

さっそく、菅総理筆頭に対策本部が立ちあがって、夜、東防災副大臣が宮城にヘリで入ってくださって知事とお話しいただいたと連絡を受けました。
地元では被害の状況がよくわからない。不安なそして恐ろしい思いで皆さんいるでしょう。

未曾有の被害です。
沿岸部の町そのものが壊滅的。

福島の原子力発電所も想定外の事態に陥りました。

県連所属の国会議員団も情報収集に追われています。
民主党県連災害対策本部を常任幹事をメンバーにした対策本部を立ち上げましたが、現地の議員の何人かとは断続して連絡が取れましたが、夜に入って全くつながりません。

全力で対応に当たります。


  • 朝、費者問題PTの会合

  • 厚労政務官にアスベスト救済法見直しを要望

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