郡和子の日記

2015年03月11日(水)

2015年3月11日の日記

あの日から4年を迎えました。

時折雪が舞い、あの日と同じように寒さが身に染む一日になりました。

私は、女川町の東日本大震災追悼式典に参列いたしました。

市街地のおよそ7割が流出、人口の凡そ12人に一人が犠牲になるなど、豊かで美しい女川は、壊滅的な被害を受けました。

ご冥福を祈りし献花させていただきました。

改めて、犠牲になられた皆さまのご冥福をお祈りするとともに、被災されたすべての方々へお見舞いを申し上げます。

あの絶望の中から希望に向け立ち上がった皆さんの今日までのご苦労に心から敬意を表します。

「復興まちづくりパートナーシップ協定」が結ばれ、復興事業を本格的にスタートさせた式典で、保育所に通うお子さんが描いた「希望をつなぐ女川の未来予想図」が須田町長に贈呈された時のことを思い出します。あのお子さんも、新しくなった女川小学校に元気に通っておられることと思います。

復興は、津波被害地のかさ上げなど、目に見えていて、新しく完成した羽ばたく翼のような屋根の女川駅舎を中心に21日には、JR石巻線開通、町開きも行われます。

また、中学生の皆さんが詠んだ俳句に私も励まされたことを思い出します。

その中の一句、「夢だけは壊せなかった大震災」という俳句は、「いのちの石碑」に刻まれ町に建立されました。

夢をつかもう、希望を手にしようと、女川の未来を担う子供たちが、大人を力づけてくれています。

震災時の安住前町長さんにも久しぶりにお目にかかり当時のことをいろいろお話できたこと、感慨深く思いました。

夜、仙台に戻り、お世話になっているJRの皆さんと懇談。

そして東京へ。


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