郡和子の日記

2006年07月22日(土)

2006年7月22日の日記

民主党宮城が開いている政治スクールに医療制度の問題でお世話になった済生会栗林病院副院長の本田宏先生がいらしてくださりお話をしていただいた。
冒頭、国会での御礼を申し上げる。

自宅に戻って講演の準備。

「若林よか講座」という市民の自主企画講座に私を呼んでくださったのだ。
よか講座は、余暇、とも、良か、とも、取れるが、自分たちでお金を出し合い、自分たちで企画する講座で、記念すべき一回目だ。頑張らねば。
「一年生議員は見た!!」と題して、話す。その準備。

会場へ向かう前に事務所近くの二十三夜堂の夏祭りを短い時間だが楽しむ。
雨が上がって賑やか。午年生まれの守り本尊だ。

「若林よか講座」の会場には大勢の方がたが集まっていらっしゃった。年齢も幅広い。
しかし、スタッフ代表の菅野東一さん、広瀬川を花いっぱいできれいにしようと活動もしている方で、とても元気で活動的なのだが、車椅子に乗っておられる。
「どうしたんですか?」
「いや、ヘルニア」
と、数日前に腰をやったらしい。一回目ということで無理を押して出てくださったようだ。申し訳ないやらありがたいやら。

で、「家政婦は見た」ならぬ「一年生議員は見た」と、国会で私が見たもの聞いたもの感じたものを話させていただいた。
最後に是非国会見学へおいでくださいとお誘いも忘れず。

それにしても皆さんの生涯学習に対する熱心さに心打たれる。私も負けていられない。皆さんから逆にやる気をいただいた感じだ。

ベガルタのホーム試合、1-1で引き分けた、と、夫からメールが入った。
そうか…。勝てなかったか。


  • 二十三夜堂夏祭り

  • 「一年生議員は見た!」と題しお話しました

  • 若林よか講座のスタッフのみなさんと

2006年07月21日(金)

2006年7月21日の日記

朝、フェリーで島を離れる。

岡山駅でそれぞれ別行動に。

午後、東京事務所に戻り、たまった資料に目を通す。
NGOの方とお話をしたり、臨時国会へ向け提出法案の準備について打ち合わせたり。

夕方からは、大学の同窓会TG会の東京支部の総会と懇親会に参加。

夜新幹線で仙台へ戻るが、人身事故のため電車は上下線とも随分遅れているようで、ホームは混雑が激しかった。
予定より遅れて仙台に到着。仙台も雨が激しく降っている。
家に戻って、久しぶりのテレビ、を、感慨深く見る。


2006年07月20日(木)

2006年7月20日の日記

合宿2日目。
今日も雨。
何しろテレビがない。豪雨の被害はどうなっているのか…。

雨の音と、こんな雨の中でも鶯の声が負けずに聞こえてくる、自然は不思議だ。

党本部に対策本部が作られ、死者を出すなど被害の大きかった地域の議員は数人島を離れる。記者会見など済ませて遅れて参加する人もいる。

地中美術館で、モネの「睡蓮の池」を見る。横6メートル縦2メートルの晩年の作品だ。すごい。
昨夜見たタレルの別の作品で「オープン・フィールド」。壁の開口部の先に光の充満した空間があって、その光の不思議、視覚の不思議を体験した。

続いて直島のリサイクルセンター視察。豊島の産廃問題から作られた施設で、循環型社会の処理施設モデルでもある。莫大な費用が国費を交え投じられている。

その後は、「家プロジェクト」視察。
古い民家を利用した現代アート。路地の民家が、そのまま、芸術家によって芸術空間に作りかえられている。

直島を訪れる人は年間1万人強だったそうだが、これらのプロジェクトで去年は17万人も観光客を呼び込んだという。特に外国からの観光客も多いのだそうだ。

夕方は、島のあちこちに設置されているアートを散策(傘をさしてだが)した。
砂浜に船体を利用したアートだの、とてもわかりにくいところに解説などない芸術品が置かれていたり、何とも不思議。

夜は、雨が上がったので、バーベキューパーティ。
「国のかたち」の代表でもある菅さんが、ヒロヒト天皇の靖国をめぐる発言の報道を引き、自民党の総裁選、わが党の代表戦後の最初の決戦になる補欠選挙への取り組みや、参院選への取り組みについて話され、
私たちが目指すべき政治を確認。

明日は島を離れる。


  • 直島の産廃再処理工場

  • 工場で分別されリサイクルされた製品

  • ウォルター・デ・マリアの「見えて/見えず 知って/知れず」

  • 合宿での菅さんの締めの挨拶

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